約1年振りの記事になりますが、まさか巨大地震について語るなんて
去年の今頃は思いもしませんでした。
いえ、金曜日の15時、あの瞬間まで。
些細な日常が、普通に過ぎようとしていたんですよね。
…
仕事で幕張に向かう予定があり
花乃は地下鉄のホームに居ました。
駆け込んだ車両の空いてる席に座ったと同時、
発車のベルが鳴り、ガタンと電車は走り始めました。
ガタンガタン。
ほんの1〜2mも進んだところで突然電車は止まりました。
「強い地震を感知しましたので、急停車致しました」
アナウンスが流れると車両が面白いように揺れ、
まるで遊園地のアトラクション内のよう。
ホーム売店の陳列商品が揺さぶられては落ちて行くのが
視界に入りました。
古い地下鉄構内は危険だと察知したのか、ホームに残っていた人々が
形相を変え一斉に地上に駆け上がります。
花乃を含めて車両の中は、電車の揺れなのか地震の揺れなのか
感覚が麻痺した状態。
「何?大きかったの?」
まだ駅をそれほど過ぎていなかったのが幸いでした。
10分程で最後尾のドアが開き、花乃はホームに解放されました。
とりあえず地上に出て、会社に戻ったのですが
当然エレベーターは止まっていて、非常階段で7階まで。
23階建てのビルですが、壁に大きな亀裂が幾箇所もあり
削り落とされたような壁土が階段のあちこちを汚しています。
席に戻るや否や、余震。
スライド式の本棚が右に左に動くのを
チームの皆と恐怖におののきながら見つめていました。
帰宅指示が出たのが16時過ぎ。
電車が止まってるので、近所の人3名と
タクシーを拾いに会社を再び出ました。
(そのすぐ後に、会社待機の指示が出たらしいですが…)
当然回送車ばかりで、タクシーは簡単につかまる訳もなく。
30分程で断念。
「花乃さん、とりあえず錦糸町まで歩いてみましょう」
スカイツリーをすぐ左に臨みながら歩き始めた私たち3人。
同行したTさんは「千葉まで歩きます?」と笑って言ってました。
Tさんは9ヶ月の赤ちゃんと2歳児を保育園に預けたまま。
神戸で被災の経験もあり、災害マップや非常食を携帯してる強者。
「歩いた方が絶対早いですよ!!!!」
いや〜母は強しです。
花乃も家族と全く連絡が取れない状態だったので
とにかく子供たちが心配で、心配で…。
錦糸町まで来ると、タクシー乗り場の長蛇の列に
これは歩くしかない!と決意を固めるしかありませんでした。
家まではおそらく40キロくらい。
コンビニでカイロとバナナ、飲み物を調達して
一路千葉方面へ。
なんとね。
家に辿り着いたのは深夜3時。
3人だったから何とか頑張れたけど、
途中何度も中古車を衝動買いしたくなりました。汗汗汗
ブーツは履き潰してしまったし、
ストッキングはいつのまにか足先が大きく無くなってるし。
最後は気力だけで進んでましたね…
荒川にかかる橋の上が一番怖かった。
川が逆流してて、爆音を立てて上流に向かって波が動いてるんです。
会話もできない程の強風。
本当に怖かった。
でも。
東北で何が起きてるのか、映像を見る術も情報もなかったので
こんな事で恐怖を感じてるなんて甘かった…ですよ。
帰宅して飛び込んで来た津波の映像
愕然としてしまいました。
イッタイ ニホンハ ドウナッテシマウノ?
脚の痛みと、心の痛みと。
激しい嘔吐が一晩中続きました。
子供たちは
有り難いことに、近所の人が
預かってくれてたそうです。
様子を見に来てくれた友人の旦那様にも
本当に感謝です。有り難うございました!!!!
翌日は筋肉痛で起き上がれませんでした。
(当然です)
旦那は「なんて無茶苦茶な事をしたんだ」と激怒してるし。
(当然です)
…
今日は地震から4日目ですが、
今も余震の度に震えてます。
被災地の方、
私ができる精一杯の支援は
本当にちっぽけですが
どうか、どうか…
少しでも暖かい夜が過ごせますように。